名作アルバム

邦楽のアルバム名盤ランキング

邦楽アルバムの名盤ランキングです。日本の傑作アルバムの歴代オールタイム・ベスト。Youtube(ユーチューブ)動画付き。1位はYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」。1970年代、80年代、90年代、2000年代以降のJpopや和製ロック、歌唱曲などのおすすめの名作CDがそろっています。(MOVE・籾山敦輝典)

順位 タイトル、アーティスト、発売年 解説
「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」
(SOLID STATE SURVIVOR)

YMO
(イエロー・マジック・オーケストラ)

1979年

試聴(Amazon)→
日本で生まれたアルバムとしては、世界的に最も評価されているテクノポップの名盤。80年代に社会現象となったテクノ音楽を披露する3人組「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」の代表作。

坂本龍一(キーボード)、細野晴臣(ベース)、高橋幸宏(ドラムス)という、日本のポピュラー音楽界を代表する才能が集ったイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)。細野晴臣氏と高橋幸宏氏という日本のロック界の要人が、当時、名うてのスタジオミュージシャンだった坂本氏と共に“世界中のエキゾチックな音楽を流行(はや)りのディスコサウンドに乗せて演奏するバンドを作ろう”と意気投合。電子音楽を多用した歌なしのディスコサウンドで世界制覇を狙うため、バンド名は“黄色人種による魔術的音楽団”に決定した。

1970年代後半から80年代初頭にかけて一世を風靡(ふうび)した彼らだが、とりわけ2作目となる本作「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」は社会現象となった。シンセサイザーを前面に出した音作りながら、当時の電子音楽にありがちな冷たく前衛的な感覚とは趣を異にした。均整の取れた旋律とダンス音楽的なビートを導入した作風は、あくまでも親しみやすい。ドイツのクラフト・ワークと並び、「テクノポップの雄」と呼ばれ、世界的な評価を勝ち得た。

 「テクノポリス」「ライディーン」など、個々の楽曲の質は高く、やや散漫な印象を残したデビュー作に比べ、全体構成もすきがない。

日本では103万7千枚(オリコン調べ)とミリオンセラーを記録する爆発的ヒットになった。このアルバムを出した直後に、欧米を回るツアーも成功させ、YMO旋風は頂点に達した。街なかでは彼らのファッションをまねたテクノカットと人民服の若者の姿が見られた。

 「成長を続ける極東の技術国家」という、当時の日本の対外的なイメージと、彼らの音楽が見事に合致していた。海外の不動産を買いあさり、バブル期に突入する80年代の日本のイケイケぶりに共通する知恵と勇気とチャレンジ精神を強く感じる。

YMOは1883年に解散。1993年に一時再結成を果たすが、その後は、3人が共演することはあっても、YMOとしての活動は凍結された。 一方、坂本龍一は映画「ラストエンペラー」(1987年、ベルナルド・ベルトルッチ監督)のサントラでアカデミー作曲賞を受賞し、大御所となった。

2020年の東京五輪では「YMOに一時的に再結成してもらい、開会式で東京の歌(テクノポリス)を歌って欲しい」との声が強まっている。
「風街ろまん」

はっぴいえんど

1971年

試聴(Amazon)→
 細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂。この4人によるロックバンド「はっぴいえんど」。 「日本語ロックの元祖」と呼ばれ、1970年代初頭の3年間を駆け抜けた軽音楽史上の伝説的な存在である。

本アルバムは、 架空の「風街」を舞台に、64年の東京五輪を境に失われゆく東京の原風景を表現しようとした。はっぴいえんどの2枚目のアルバム。日本初の本格的インディーズレーベルだったURCレコードから発売された。「風をあつめて」「あしたてんきになあれ」など全12曲。日本語でロックを歌った名盤と評価される。

1972年のバンド解散後も、収録曲は映画挿入歌やCMで使われたり、若手アーティストにカバーされたりと親しまれている。発表当時のレコードジャケット内側に使われていた六本木通りを走る都電6系統のイラストは、ポニーキャニオンが2009年に復刻したCDで見ることができる。

作詞家、松本隆は青山と渋谷と麻布を赤鉛筆で結び、囲まれた三角形を「風街」と名付けた。

「はっぴいえんど」は1970年1月に活動開始。1973年9月の解散までオリジナルアルバム3作、スタジオ録音のシングル4作などを発表した。「十二月の雨の日」「はいからはくち」「夏なんです」…。ロックは英語で歌うもの-という当時の既成概念を覆し、独自の世界をつづる歌詞と実験的なメロディー、サウンドを提示、以降の音楽シーンに大きな影響を与えている。

 バックバンドとしては高田渡、岡林信康、遠藤賢司、加川良らと共演。この三年余りの間に、大阪万博、ベルボトム、戦争を知らない子供たち、浅間山荘事件、よど号事件などが世間をにぎわした。 ・細野晴臣(ほその・はるおみ) ベース、ボーカル。解散後は、ティン・パン・アレー、Y.M.O.などでプロデュース、作詞作曲、演奏。世界に知られる“日本のロック・ポップスの父”。東京・白金生まれ。

・大瀧詠一(おおたき・えいいち) ボーカル、ギター。東京・福生の米軍ハウスに録音スタジオをもつ。大瀧=ナイアガラ・ブランドの主宰者として、CM音楽界、ポップス界を実験精神で牽引。岩手県出身。

・松本隆(まつもと・たかし) ドラムス。「木綿のハンカチーフ」「赤いスイートピー」など2000曲以上を手がける作詞家。74-98年、オリコン・トップ10に131曲入った。サイト「風待茶房」主宰。東京出身。

・鈴木茂(すずき・しげる) ギター、ボーカル。ソロ活動を軸にしながら、ティン・パン・アレー、キャラメル・ママでギター演奏、楽曲制作。吉田拓郎、真心ブラザーズらをプロデュース。東京出身。
「氷の世界」

井上陽水

1973年12月

試聴(Amazon)→
日本初のミリオンセラーアルバムとされる。オリコンの週間アルバムチャートで35回も1位に輝いた。これは現在も最高記録となっている。

ファンキーな熱いサウンドに乗せて「人を傷つけたいな、誰か傷つけたいな」と強烈な言葉を並べた表題曲。ライブ活動で知り合った忌野清志郎との共作で、どこまでも美しい「帰れない二人」。ヒットシングルで歌謡曲調の「心もよう」--。多彩な楽曲を収めた日本ポップス史に残る名盤だ。

井上にとって3作目のオリジナルアルバムの「氷の世界」が発売されたのは、1973年12月。この年はオイルショックが日本経済を直撃し、社会に不安が広がった。「若者特有の不安感とか、社会に対するアンチテーゼとか、未来に対する絶望感は、人並みにはあったと思う」。井上だけではない、多くの若者が、社会のあり方に疑問を持っていた。だからこそ、この作品は売れに売れたのだ。

「人を傷つけたいな」というフレーズがなぜ出てきたのか、記憶がないという。けれど「通り一遍ではない曲を作りたかった」。明るいばかりの、楽しいばかりの作品はうそくさい。そんな若者たちの気持ちを反映した内省的で、斬新なフレーズがアルバムにはあふれている。「以前だったら『興味や好感を持たれない。売れるわけない』と言われそうな曲もある。そういうものがある種、新しかったのかもしれない」

 サウンド面でも様々な挑戦を行っている。その頃はファンだったビートルズの影響で「バラードがあったり、クラシックっぽいものがあったり、激しいものがあったり」といった幅広い音楽性を目指していた。多くのミュージシャンが参加し、シンセサイザーやメロトロンも導入。ロンドンでも録音を行った。表題曲はスティービー・ワンダーの楽曲に、「帰れない二人」はニール・ヤングの楽曲に、それぞれ刺激を受けてイントロが作られた。類型的なフォークにとどまらない広がりを持った作品だ。

2014年には、発売から40年が経過し、同作品を中心にした井上の全国コンサートツアーが行われた。また、5月21日には収録曲「白い一日」の別バージョンやDVDを付けた40周年記念盤(ユニバーサル)も発売された。記念盤のDVDには、昨年NHKで放送された制作ドキュメンタリーが収められる。井上や当時のスタッフが、録音時の様子をつぶさに語っている。
「ひこうき雲」


荒井由実
(現・松任谷由実)

1973年11月

試聴(Amazon)→
シンガー・ソングライターの松任谷由実(まつとうや・ゆみ/通称「ユーミン」)のデビューアルバム。 1973年(昭和48年)、荒井由実の名で発売された。 文学的で情緒的な歌詞が称賛された。 独創的なコード進行、 教会音楽の影響を受けた音の世界。 天才少女の出現は大きな衝撃を与えた。

ユーミンは1954年東京生まれ。 1971年に加橋かつみに提供したシングル「愛は突然に…」で作曲家としてデビュー。 翌年72年7月にはシングル「返事はいらない」で歌手としてもデビューした。

ユーミンは他の超人気アーティストと比べて、 シングルよりもアルバムの販売比率が高いのが特徴。 シングルカットされなくても、 幅広いファンに愛される曲が多い。 オリコンの1位獲得数は24作品で、 B'zに次ぐ2位。

アルバムの題名にもなっている曲「ひこうき雲」は、 死に直面した少女をテーマにしている。 2013年に宮崎駿の映画『風立ちぬ』の主題歌として人気が再燃。 配信チャートで1位になるリバイバルヒットとなった。 大空を感じさせる曲想や歌詞の内容から、映画のヒロインのはかない生命と、楽曲に登場する少女が見事にシンクロした。

2018年3月には、このアルバムの曲を様々なアーティストが再現するコンサートが開催された。 ユーミンは当時を振り返り、「『音楽はファンのために作るのではなく、自分自身のために作っているんだ』と言って、ひんしゅくを買った。でも自分が納得できるものを作ることが音楽家の使命だと思う」と語った。
「古事記」
(kojiki)

喜多郎

1990年

試聴(Amazon)→
シンセサイザー音楽の喜多郎が、その名を世界に轟かせた記念すべき一枚。米ビルボード誌のニューエージ部門で連続7週1位に輝いた。 このアルバム発売に伴う1900年春の全米ツアーで7万人余の観客を動員。 日本の「音の語り部」としての活動が本格的に指導した。

喜多郎が37歳のときの作品。 それまでは宇宙の神秘など抽象的な題材を表現することが多かったが、本作では日本の古典である古事記をテーマとした。 日本で大好評を得た「シルクロード」シリーズに取り組んでいる中で、出合ったのが古事記だっという。現代人が忘れている、心の豊かさやおおらかさを見いだした。 そして、日本の高度成長が奪った田園の音色を、機械をつかって巧みに再現することに成功した。

リリース当時、喜多郎は「古代の日本の自然、おおらかな性や愛など『古事記』の世界を、交響曲風に、ドラマチックに音楽化してみました。以前のボクの音楽は、平板なイメージの連続のものが多かった。いわばスライド映写の世界でしたが、今度はビデオ映像の世界をねらった。動きとドラマ性を強調したのが、海外で成功した原因かも知れません」と語った。

喜多郎は愛知県豊橋市生まれ。地元の商業高校を出て、一時、港湾荷役や道路工事など下積みの労働をしながら、バンド活動を続けた。 20代半ばで長野県八坂村の過疎地に移り、自給自足の農作業をしながらシンセサイザーの作曲を始めた。「都会の騒音から離れて初めて、チロチロ鳴く虫の音とか、谷間を吹く風の音とか、自然の音の美しさが見えてきた。曲を作る時は、シンセサイザーの音を家の近くの山にぶつけるんです。いい音は、山を越えて空に突き抜けるし、悪い音は、へたって谷間に落ちる。自然が音を選んでくれます」という。

「太始(はじまり)」など七曲。初めてオーケストラの伴奏も入っており、今までにない響きと味を出している。シンセサイザーの先駆者的な存在の喜多郎にしては意外だが、「古事記」を通じて生の楽器とシンセサイザーとの融合を考えるようになったからと言う。

当時、米国のある新聞は喜多郎を「神秘の音楽家」と評した。 欧州で喜多郎の音楽を精神療法に使う病院が登場するようになったのもこのころである。 この後、喜多郎は1990年代、2000年代、2010年代を通して、グラミー賞ノミネートの常連となった。  
「元気です。」

吉田拓郎
(よしだ・たくろう)

1972年7月

試聴(Amazon)→
日本のフォーク界のプリンス、吉田拓郎の代表作。 オリコンのアルバム・チャートで14週連続で1位に輝いた。独特のメロディ、ボーカルスタイルで絶大な支持を集めた。<

「春だったね」「旅の宿」「祭りのあと」などが収録されており、 カントリー・ロック色の強い演奏でまとめられている。 誰にでも分かりやすく、共感しやすい曲づくりが際立つ。

吉田拓郎はこのアルバムがの発売前に、シングル「結婚しようよ」で大ヒットさせ、フォークファンにとどまらない幅広い支持を得た。 本作も、フォークというジャンルに縛られず、明るいサウンドで国民を魅了した。
「ロング・バケイション」
(A LONG VACATION)

大滝詠一

1981年3月

試聴(Amazon)→
作品の通称は「ロンバケ」。 シングルが重視される傾向が強い日本の音楽界において、アルバム文化の大切さを印象付けた一枚。 「奇跡のアルバム」として評価されている。

多くの曲は作曲・大滝、作詞・松本隆という黄金コンビ。「君は天然色」に始まり「さらばシベリア鉄道」までの全10曲はカラオケの定番となっている。

発売された当時は「ニューミュージック」全盛期だった。 当アルバムは、ニューミュージックを歌謡曲のように親しみやすい存在にした。

アルバムが大ヒットする要素として、曲以上に演奏者のキャラクターに負う部分が多い。 ところが大滝はめったに取材を受けないうえに、写真も撮らせない。作品だけで勝負し、ロングセラーを続けた。当初はアナログ盤として発売されたが、1982年に「邦楽初のCD」としてリリースされた。

20周年の2001年にはリマスター版がヒットした。 時代を越えて愛される永遠のポップス。

レコード・コレクターズが2010年10月に発刊した増刊号「日本のロック/フォーク・アルバム・ベスト100 1960-1989」の読者投票で1位に輝いた。
「First Love」
(ファースト・ラヴ)

宇多田ヒカル

1999年

試聴(Amazon)→
日本の音楽史上、圧倒的に1位のセールス枚数を誇っている。 累計販売枚数は850万枚以上。 CDがよく売れる時代(CDバブル)だったとはいえ、 国民的な幅広い支持がなければなしえない数字である。

天才少女・宇多田ヒカルのデビュー作。 15歳で作り上げた。 すべての曲を自ら作詞・作曲した。 その歌唱力も圧巻。
「黒船」

サディスティック・ミカ・バンド

1974年

試聴(Amazon)→
伝説的な存在であるサディスティック・ミカ・バンドの2枚目のアルバム。 斬新で画期的な名盤。 日本のロック史に新風を送り込んだ。

1853年の米国ペリーが率いる黒船の来航と、それを受けた日本の開国をテーマにしている。 3曲目の「タイムマシンにおねがい」はラジオで盛んにかかり、当時の若者の胸を躍らせた。 このほか秀作がそろっている。

1973年に発売した1枚目のアルバムがイギリスの音楽関係者から高い評価を受けた。 そして、著名プロデューサーのクリス・トーマスがプロデュースを申し出て、 海外での成功も視野に入れながら制作された。 レコーディングに450時間を費やしたという。 本作リリースの後、海外ツアーを行った。

日本や東洋の風味を、 英米の最新の音作りを取り入れながら表現。 日本産ロックの新しい形をつくった。 まさにJポップの原型の一つといえる。
10 「熱い胸さわぎ」

サザンオールスターズ

1978年8月

試聴(Amazon)→
日本が生んだ最大の音楽グループであるサザンのデビューアルバム。 原始的なパワーが詰め込まれた傑作。 磨かれる前の原石のような輝きを放つ。 「勝手にシンドバッド」が1曲目を飾る。

1曲の中で目まぐるしく展開が変わるなど、型破りで奔放なスタンスが発揮されており、衝撃を与えた。 また、ロックを基調としつつ、ラテンやジャズ系のリズムが取り入れられている。 例えば、「勝手にシンドバッド」はブラジルのサンバ、「別れ話は最後に」はボサノバ、「いとしのフィート」は黒人音楽、「当たって砕けろ」はジャズといった具合。 リーダーの桑田佳祐の音楽的な幅の広さが表れている。

このあと数十年にわたって日本の音楽界を引っ張る桑田は当時まだ22歳だった。 プロとしてのレコーディングの経験はなかった。 桑田はキャリアを積んだ後から振り返ってみても本作は満足の出来栄えだったようで、 2012年の自著『やっぱり、ただの歌詞じゃねえか、こんなもん』の中で、 「ノウハウなんて何もない中でやっていたのに、いま聴いてもあれは生々しく、素晴らしいと思う」と語っている。
11 「泰安洋行」
(たいあんようこう)

細野晴臣
(ほその・はるおみ)

1976年7月

試聴(Amazon)→
1972年のはっぴいえんど解散後、ソロ音楽家としての傑出した才覚を発揮していた細野晴臣の一つの到達点。

ニューオリンズ音楽、ハワイアン、ラテン、レゲエ、沖縄音楽など、 世界中の音楽要素を自由自在に組み合わせ、独創的な日本音楽の世界を作った。 愉快で破天荒。新しい日本音楽の可能性を切り拓いたとされる。 アルバムとしての完成度の高さも秀逸と評価されている。

このアルバムを含むソロとしての傑作3作を経て、細野晴臣はYMOを結成する。
12 「THE BLUE HEARTS」

ザ・ブルー・ハーツ


1987年5月

試聴(Amazon)→
ブルー・ハーツのデビュー作。 1980年代に日本で起きたバンドブームの頂点に君臨する作品である。

真島昌利(ギター)と甲本ヒロト(ボーカル)がつくる率直で共感しやすい歌詞とシンプルなメロディの曲で構成される。 パンク・ロックに強い影響を受けた歌と演奏で、絶大な支持を得た。 不朽の名作「リンダリンダ 」のほか、「終わらない歌」、バラード「君のため」など初期の名曲が収録されている。